April 18, 2012

JBJJF会長・中井祐樹インタビュー[2012年4月] part.1

JBJJF会長・中井祐樹インタビュー[2012年4月] part.1

取材・JBJJF広報部

日本ブラジリアン柔術連盟が設立されて、早くも十数年が経った。日本のブラジリアン柔術が向かうべき道筋とはいかなるものなのか。これまでの活動、そしてこれからのビジョンを中井祐樹会長に訊いた。

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インタビューは2012年4月某日、東京池袋の連盟事務局内にて行われた 

ーー日本ブラジリアン柔術連盟(旧称・BJJFJ、現・JBJJF)が発足したのが1998年。会長職に就任されたのが1999年。それから十数年が経ちましたね。
まさに日本のブラジリアン柔術の過渡期に携わったと思います。就任当初からしばらくは、私の道場であるパラエストラ東京内に連盟事務局があり、運営側は年に一度の全日本選手権を開催するに留まり、他大会の開催は民間にお任せしている状態でした。私を含め運営側もまだ若く未熟で、アマチュアだった部分が多分にあったと思います。
それでもブラジリアン柔術の始めやすさや、取り組みやすさという素晴らしい面があり、徐々に広まっていきました。お陰様で、柔道、サンボ、レスリングなど他のトラディショナルな競技の愛好家や、その他のスポーツ愛好家、様々な方に嗜んでもらえていると思います。

ーーグレイシー柔術ブーム、総合格闘技ブームなどもあり、他の格闘競技、スポーツに類を見ない爆発的普及だったのではないでしょうか。
現在では、ブラジリアン柔術が根を下ろし、着実に広がったと思ってます。日本各地に道場もたくさんできました。多くの人間、競技者を受け入れる体制が整ってきたという印象があります。具体的には2006年のアジア選手権が転機でした。アジア選手権は、国際ブラジリアン柔術連盟(IBJJF)が主催し、我々日本の連盟が主管を務める大会です。これはIBJJFの「今後はアジアの大きな大会は日本に任せるぞ」という意思の現れで、我々も運営のプロフェッショナルにならなければなりませんでした。
その第1回アジア選手権後に、私と早川(光由)君(現JBJJF常務理事)、浜島(邦明)君(現JBJJF事務局長)らと話し合い、行動し、組織を刷新することができました。その新体制に伴い、2007年2月に新しいホームページの公開も行いました。
2006年までブラジリアン柔術の世界選手権(=世界柔術)はブラジルのリオデジャネイロで開催されていたのですが、2007年からはアメリカ合衆国での開催となりました。タイミング的にも、そういったIBJJFの世界戦略にも歩調をあわせられるようになり、日本の連盟としてもより良い体制が整ったという感じでしょうか。
この5年間は土台作りの期間で、地道に動き続けてきました。また次の5年間で、ブラジリアン柔術はさらにワールドワイドに広がるのは間違いないですし、我々もその役割を担っていくつもりです。その中で日々より良い組織運営をすることで、各国にもその姿勢を見せていきたいし知ってもらいたい。これは柔術のルーツの国の一つとして、使命だと思っています。

ーー転機を迎えたという2006年の第1回アジア選手権のその後、2007年からの運営についてお聞かせください。
IBJJFの国際的な行動計画や、制度やルールの骨子が固まった事を受け、それに準拠する形で、JBJJFも国内で本格的な制度運用を開始しました。団体や帯の登録制度も始まり、運営側は無論、ジムや道場の責任者を含めて皆でプロフェッショナルになっていこう、という判断でした。勿論、整合性のある正しい行いをしていても、過去の方法と違ってきたときに、多少の拒否反応を示す方がいたのも事実です。それでも将来的にブラジリアン柔術が大きくなるための礎(いしずえ)の一つとして理解しいただく必要がありました。
運営側が皆さんの楽しみを叶えていくものであるために、またそれを続けていくために、最低限の規則を守っていただき、よりシステマティックにしていかなければなりませんでした。時間を掛けて……、本当に5年の歳月を費やし、少し落ち着いたかなという感じはします。
日本でのブラジリアン柔術の裾野は拡がりを見せ、また世界でも同様に成長しています。競技レベルも非常に高くなっていますし、この素晴らしいスポーツに参加している、と感じて頂ければ、我々は幸いです。

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(以降のインタビューは、part.2に続きます) 

Posted by jbjjf at 22:58│ インタビュー