May 24, 2012

2012世界柔術直前・選手インタビュー vol.1

去年2011年からJBJJFランキング制度が発足した。
JBJJF主催の公式戦、及び公認大会において、入賞者にはポイントが付与され、年間獲得ポイント合計1位の黒帯・茶帯(2012年度から紫帯も含む)と、成績優秀者(全日本選手権大会における優勝者の中から抽選で1名)に翌年の世界柔術選手権への航空券が贈呈されるシステムだ。

そのランキング制度を制して初代年間王者に輝いた、また成績優秀者として、“世界柔術行き”のチケットを勝ち取った選手たちのインタビューをお届けする。

第一弾は、黒帯の部で年間24ポイントを獲得し、1位に輝いた時任拓磨(PUREBRED大宮)だ。

purebred大宮時任(右)
PUREBRED大宮の世界柔術に挑む選手達。右から、時任拓磨(黒帯ライト級)、関口和正(黒帯フェザー級)、冨田仁之(茶帯ライトフェザー級)、 写真協力:PUREBRED大宮



――ランキング制度の初代黒帯王者に輝きおめでとうございます。
ありがとうござます。

それではまず、時任選手のスポーツ歴、格闘技歴などを教えてください。
子供の頃からサッカー、テニス、空手を嗜み、2000年の21歳の時に総合格闘技を始めるため京都産業大学から埼玉大学に編入しました。PUREBRED大宮に入会して、最初は補助トレーニングの一環として柔術を始めました。始めた同年にカンペオナートジャポネーズに出場するも3回戦で負けてしまい、悔しくて「柔術でもっと強 くなる!」と心に決めて徐々にハマっていきました。

――社会人として、仕事と練習の両立することの苦労、コツなどがあればを教えてください。
現在は、WebデザインとPUREBRED大宮での柔術インストラクターとして生計を立ています。仕事と競技生活のバランスは今でも大変難しいですが、ジムの近くに住むことによって、ある程度、練習時間を確保できるようになりました。また、クラスの中にスピードトレーニングや打ち込みなど、「自分でもやっておきたいトレーニング」を取り入れています。テクニックに関しては、「自分でやってみてよかったこと」を教えることにしています。自分が使えない技は教えません。ただ、クラスに技の偏りはないほうがいいので、強制的に自分の技のバリエーションを増やしています(苦笑)。

――黒帯なるまでの道程はどうのようなものでしたか。
黒帯になるまで7年ほど掛かっています。柔術を始めて3年後に就職して、一時は横浜から大宮までの“遠距離練習”を行なっていました。05年に一念発起で退職し、本場ブラジル修行を半年間行いました。修行先は、柔術黒帯世界王者で、自分の得意技でもある、“ホレッタ” の元祖といわれる、ホベルト “ホレッタ” マガリャエス先生の道場でした。07年にホベルト・マガリャエス、エンセン井上、宍戸勇の三先生より黒帯認定され、昇格しました。

――現在の練習環境、また取り組んでいる練習を教えてください。
PUREBRED大宮は日本有数のトップ選手がいるジムで、黒帯以外の選手もテクニカルな方が多く、日々とても勉強になっています。また、フィジカル面でもトレーニングしやすい環境なので、充実した練習ができていますね。
また意識して取り組んでいるのは、あえて苦手とするポジションからの展開を増やしたことと、“体に優しい動き”です。体に優しいというのは、長年怪我に悩 まされて気づいたのですが、横回転ひとつ取っても、回転の中心を少し変えることで怪我の危険性がかなり下がりました。また、バレットさんとスパーリングができたことも大きかったです。

――世界的な柔術家・グラップラーであるバレット・ヨシダ選手とのスパーリング経験が現在の練習に大きく影響している、と
はい。2012年1月26日にPUREBRED大宮ジムで行われたバレットさんのセミナーでスパーリングの機会がありました。バレットさんの動きは、「無駄がない」というより、「無理がない」という感覚で、自分の動きと比較すると、自分はまだまだ無理してるなぁと思い知らされ、大変勉強になりました。

――なるほど。では次に2011年度の試合についてお聞きします。ご自身にとって印象深い試合・出来事はありますか。
一昨年の秋に膝を負傷してしまい、去年6月のデラヒーバカップから復帰したのですが、久しぶりの試合で、過度な緊張をしてしまいましたね。そこ から徐々に調子が上がっていきました。印象深い試合と言えば、やはり年末にあったCOPA IF-PROJECT(2011年12月10日)で、中山徹選手との一戦でしょうか。直前に試合のオファーがあり、調整不足の状態で臨んだのですが、レフリー判定で勝利することが出来て、ギリギリの試合で最後まで諦めずに結果を出せたことが自分の中では大きかったです。いつも、自分が教えている会員さんには「最後まで諦めるな!」って言ってるのに、自分が諦めてしまっては説得力がないですからね……(笑)。

――年間を通じて24ポイント獲得、2位を大きく引き離し年間王者に輝き、航空チケットもゲットされましたね。
正直1位になった時は嬉しかったし、今回チケットを頂けて大変ありがたいです。体調不良の中、ランキングを意識して強行出場したかいがありました。

――これまで長年ミドル級で活躍されてきましたが、世界柔術ではライト級でのエントリー予定と聞きました。階級転向の理由などがあれば教えてください
紫帯の頃、膝を怪我した際に行っていたウエイトトレーニングで体重が増えてしまい、それからミドル級で出るようになっていました。しかし、同じジムの柿澤 (剛之)さんがフェザー級に転向したことをきっかけに、本来の階級で戦ってみたいと思うようになりました。約7年ほどミドルでやってきたので、ライト級に落とすのは初めてに近い感覚ですが、スピードや技のキレが増しているので試合が楽しみです。

――これまでの世界柔術の出場経験や、戦績。その中での思い出などがありますか。
初めて黒帯で出場した2008年、2回戦でグスタヴォ・カンポス選手と戦い、大差の判定負けでしたが、黒帯ミドル級のスピード・パワー・テクニックを体感でき、自分の技を改善するきっかけになりました。

――では最後に、世界柔術に向けて意気込みをお願いします。
今回は、黒帯になって初めてのライト級での出場になりますが、減量と練習を最後までやりきり、試合当日に、最高のパフォーマンスをすることが目標です。

――ありがとうございました。世界柔術での健闘を祈っています!

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写真は今年3月に開催された、全日本マスター&シニア選手権のマスター黒帯ミドル級決勝戦。世界柔術でも得意のホレッタが炸裂するか!? 

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減量も順調とのこと。期待も高まる




Posted by jbjjf at 00:00│ インタビュー